大判例

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広島高等裁判所 昭和23年(ネ)69号 判決

控訴人

森井トキ

被控訴人

広島県農地委員会

主文

本件控訴はいずれも之を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

控訴の趣旨

原判決を取消し被控訴人国は控訴人に対して別紙目録記載の土地が控訴人の所有であることを確認する。被控訴人広島県農地委員会は控訴人に対して昭和二十二年九月二十九日別紙目録記載の土地に対して神村農地委員会が為した買収計画について為した裁決を取消し且つ神村農地委員会の為した右買収計画を取消せ訴訟費用は第一、二審を通じて被控訴人の負担とする。

事実

双方の事実上の主張は控訴代理人は神村農地委員会が本件買収計画をたてた日は昭和二十二年七月三十一日で控訴人が異議の申立をしたのは同年八月十日で神村農地委員会が之を却下したのは同年八月十二日で控訴人が訴願の申立をしたのは同年九月五日であると補充しなお原判決事実摘示の(一)の主張について所謂自作農創設法令による買収は地主の私有財産である農地を強制的に買上げて之を特定の耕作者に売渡し之に所有権を得させその者に独占使用させるためになされるものであつて、その買収は自作農を作るのが目的であつて買上げた農地を公共のために用いるものではないから右法令による農地の買収は決して憲法第二十九条第三項にいう公共のために用いるためにされるものとは謂えない。買収価格が正当な補償といえるかどうかは補償そのものが経済上の問題であるから経済的見地から之を決定しなければいけないことで価格の統制された農地については原価計算の方法で即ち農地の開墾に要する人夫賃土地代金その他の諸材料費等から計算してその補償の価格を定めるのが経済上の自然法則に適うものであるのに、数十年前の農地の貸価格を標準として、算出し政府買上の米麦の価格と較べて見て安価なこと一見明瞭な額で買収して居るのは、仮令日本の財政状態が窮迫して居るからといつて之を以て地主側にのみ負担させるのは決して正当な補償とは言えないものである。原判決事実摘示の(二)の主張について本件農地は元森井石松の所有であつて其の死亡後も登記名義は同人のまゝになつて居るが実際の所有権は控訴人に移転して居るもの(昭和八年十二月九日石松の相続人孫市から贈与を受けて即日引渡を受けたもの)で神村農地委員会も石松が死亡して居ることは十分知つて居たのであるから同人の死亡後本件農地が誰の所有になつたかを確めて買収計画をたてるべきであつてその調査を為さず訴外森井孫市の所有地であると判断したのは違法である。

原判決事実摘示の(三)の主張について本件買収計画は昭和二十年十一月二十三日現在の事実に基いて為されたものであつてその当時には旧民法が施行されて居り戸主制度及び家督相続制度が現存し家という概念が法律上認められて居りそこに日本独特の家族制度の概念から家産という制度も認められて居たのである。

原判決事実摘示の(四)の主張について県農地委員会は村農地委員会の買収計画に対する訴願についてはその買収手続の根拠となつた事実及び之に対する法令の適用の適否についてのみ審査し得るに止まり抽象的に当該農地の買収可能、不能を審査するのではないから本件のように自作農創設特別措置法第三条第五項第二号に該当するものとして為された買収計画を右法令によるのは誤りであるが同法第三条第一項第一号に該当するから結局右買収計画は正当だということは県農地委員会としての権限を逸脱して居り違法のものである。

原判決事実摘示の(五)の主張について自作農創設特措置法施行令第四十三条と同令第四十五条とはその手続を異にするものであつて而も第四十三条の場合には農地の所有者の異動の有無には関係のない規定であるから本件のように第四十三条による買収手続の当否を争つて居るのに第四十五条による買収としては適法であるから結局正当だというのは誤りである。

とそれぞれ追加補充して陳述し、

被控訴代理人等は原審に於ける控訴人の当事者適格の点についての主張を撤回し控訴代理人の本件買収計画から訴願の裁決までの控訴人主張の手続及びその日時を認め控訴人の原判決事実摘示の(二)の主張に対して本件農地の登記簿上の所有名義は亡石松であることは認めるが控訴人において亡石松の長男である孫市がその家督を相続してその所有権を取得したことを認めて居る以上登記名義が異なつて居ても第三者である被控訴人等に於て孫市がその所有者であることを認めることは何等差支えないことである。控訴人の原判決事実調示の(三)の主張に対して控訴人は家産云々というけれども本件買収計画を定めた当時は既に民法上家の制度は存在しなくなつた時であり而も森井家の戸主であつた訴外森井孫市と控訴人はその世帯を別々にしているもので決して家族共同体として本件農地を所有又は耕作して居つたものではない。控訴人主張の原判決事実摘示の四の主張に対して訴願裁決庁としては原審査の結果原処分が手続上違法の点があるとしても他の理由により終局の目的である処分自体が適法と判断すれば訴願を却下することができるものであつて被控訴人広島県農地委員会が本件買収計画を自作農創設特別措置法第三条第五項第二号に基いてなしたのを同法第三条第一項第一号に基いて為すべきものと裁定しても差支えないものでそれによつて買収計画自体には何等変りはないものであり権限外の行為をなしたものではない。控訴人の原判決事実摘示の(五)の主張に対して前記法律第三条によるも同法附則第二項によるも買収基準時を異にするだけで農地の買収はいずれも同法第六条によるものであるから買収基準時を異にするために結果に於て差異を生ずる場合は格別本件のようにその差異のない場合には(訴外森井孫市は昭和二十年十一月二十三日以降現在まで引続き不在地主である。)同法第三条第一項第一号に該当すると見るか同条第五項に該当すると見るかは農地委員会の内部的意思決定であつてそれについて過誤があつても終局の行政処分である買収そのものが違法でない限り差支えないものと解すべきで本件について不在地主の小作地であることが明かである以上小作人の買収の請求の有無は買収そのものには何等関係のないものであるとそれぞれ追加補充して陳述し

なお控訴人の原判決事実摘示の(一)の憲法違反の主張に対して同法は広汎かつ急速に自作農を創設することによつて我国の農業生産力の発展農村民主化の促進という公共のために制定されたものであつて単に耕作農民のみの利益のために行われたものではないので、同法による農地の買収は憲法第二十九条にいわゆる公共のために為されることは明かである。又憲法第二十九条第三項にいう正当な補償とは単に客観的に収用される物件そのものの価値を基本とするばかりでなく、その一般的社会的情勢から見て果してそれが適当なものであるかどうかを決めるべきものであつて国民全体としての利益と個人の持つ利益との完全な調和の点で考えられなければならない。即ち農地買収の対価についても農地改革の目的、我国の財政経済事情、買収農地の売渡を受くべき農地の経済状態我国の現在の国際的地位その他諸般の政治的経済的及び社会的情勢を考慮すると共に他面農地の移動の統制農地の売渡価格の制限、小作料の金納化及びその金額の統制等による農地所有権の内容自体の変革と之に伴う農地所有権の財産的価値の変化の事情も斟酌して決定されるべきものでかゝる見地から合理的基礎に立つて定められた自作農創設特別措置法の買収価格は憲法第二十九条にいう正当な補償に外ならないものであると陳述した外、

原判決事実摘示と同一であるのでこゝに之を引用する。

(立証省略)

理由

神村農地委員会が昭和二十二年八月十二日別紙目録記載の土地を神村以外に住所を有する訴外森井孫市所有の小作地と認めて自作農創設特別措置法第三条に基いて買収する旨の買収計画をたてたのに対して控訴人からその主張の日に異議の申立をなしその主張のような経過を経て被控訴人広島県農地委員会が同年九月二十九日控訴人の訴願を容れない旨の裁決をなしたことは当事者間に争ないところである。

よつて控訴人主張のように右裁決が違法かどうかの点について順次判断する。

(一)控訴人は自作農創設特別措置法(以下自農法と略称する)は憲法第二十九条に反する法律であるから憲法第九十八条第一項により効力を有しない法律である。従つて同法に依つてなされた本件買収計画もその裁決も違法であると主張するけれども自農法が制定された趣旨は原判決がその理由の第一の(一)で説明して居るとおりであつて同法が古くからの我国の農業政策の一つである自作農主義が現在我国に義務付られて居る民主主義化の要請の下に更に前進させられたものであつて自作農創設のための農地の買収は法律的に地主の立場からのみすれば不耕作者たる地主から耕作者えの農地の所有権の強制移転ということには相違ないけれどもそうしたことが終局するところ公共のためになることは疑を容れないところであつて(原判決理由第一の(一)説示を引用する)右買収は憲法第二十九条にいう公共のために用いるために為されるものであるというに憚らないもので決して同条の精神にも反するものではない、そして自農法第六条の買収の対価及び同法第十三条の報償金の額が定められた根拠については原判決がその理由第一の(二)で詳述するとおりである。そこで右のような根拠に基いて定められた対価の支払や報償金の交付が憲法第二十九条にいう正当な補償といえるかどうかについて判断するに新憲法の財産権の保障の規定から考えて新憲法が私有財産制度を是認して居りそれは土地についても同樣であることは明らかである。そして憲法第二十九条は財産権の内容は公共の福祉に適合するように法律で定めると規定して居る。そこで本件で問題となつて居る農地の所有権について考えて見ると原判決の理由の第一の(二)の(ロ)に摘示しているように法律によつて其の所有権の持つ権能なり内容について色々の制約が規定されて居るものであり、他面旧来からの我国の農業政策であり恐らく将来も是認されるであらう自作農主義の促進化ということを考えると農地所有権を財産権として見たときの実体についても客観的に考えなければならないものがあると思う。そして公法上の損失補償の制度の由来と本質とから見て補償の内容は客観的に且つ合理的に定めなければならないとの要請から技術的な要素が多分に含まれることも止むを得ないことであり、憲法第二十九条にいう正当な補償であるかどうかはそれが完全でなければいけないとか相当であれば足りるとかの概念決定はさておき補償されるべき農地所有権の持つ財産的価値と公法上の損失補償の制度を認める精神との調和の下に判断されるべきものであると考えるそうした考方からして自農法第六条の買収の対価を算出する根拠として自作収益価格を基準としたこと、右自作収益価格を決定するのに前述のような諸要素を考慮して決定したことは農地の価格の統制額が之と同樣に定められて居ることも合せ考えて一応合理的なものとして是認しなければならないと考える、従つて純法律技術上から云うと右対価の規定は合理的でありそ 内容も憲法にいう正当な補償として何等憲法に違反するところは無いといえると思う。然しながら公法上の損失補償の制度の合理的根拠が正義公平の理念に基くものであり補償の内容は純財産的のものであることを考えると法律上合理的であるというに止まらず経済的見地或は国民感情から考えてもさうであるとの裏付がなければならないと考える。そこでこの点から云うと前記自作収益価格を決定するのに重要な関係を有する米価はその後改訂されて居り土地の賃貸価格も昭和十三年に改訂されたまゝのものであつてその内容が果して現在妥当なものであるかどうか疑問の点があることを考えると前記対価の額は買収の時期を問わず常に正当なものとして妥当するものとは言い難い、そして右対価の規定が昭和二十一年一月十六日農林省告示で決められた統制額と同一の基準で法律によつて最高額が一定不動に定められて居ることは価格はその時その時の経済情勢によつて変動し易いものであるとの経済上の原則と相容れないものであることよりしても正当であるとは謂えない。従つて経済的見地を強調すると対価の最高額を法律によつて一定したことは不適当であつたというべきで一般の物価の統制額のように改定し易い命令に委ねるべきであり且つその時の経済情勢に応じて妥当な内容を規定すべきであつたと謂わねばならない。(このことは自農法が短期間内に農地の買収を遂行するように義務付けられて居るから法律によつたのも止むを得ないとの解釈の正当な理由にはならないと思う、又公平の観念から云つても自農法に規定する対価が他の物の価格に較べて非常に安価だとの感じは単に地主丈でなく之を買受ける小作人側も一応に持つて居ることは当裁判所に顕著な事実で右のような感じは所謂闇価格を基準にしての考方で不当なものであると一蹴し得ないものと考える、元来我国の農民は比較的少数の地主を除いて大半は中小農民に過ぎずしてその数は国民の総人口の多数を占めて居るに拘らず、その経済的地位は資本主義体制の下にあつて他の商工業者等に較べて不利な地位にあり農地の狭少に対して農民の多数という宿命を担つて居る我国の農業政策のガンは零細農による農業経営自立の至難にあることも亦当裁判所に顕著な事実である。それがために主要農産物である米麦の価格決定について昨今特別の考慮が払われて居る実態を思うとき買収の対価についてその額の決定についても愼重な考慮が払われて然るべきである。(勿論右考慮から補償金の交付という制度がある訳であるけれども右報償金の額も他の商工業者に対する所謂各種補給金制度―その是非は別として―に較べて決して多額なものでないことを思い合すべきである。)

之を要するに自農法の対価はその倍率を一定不動のものにして居ることは妥当でなく買収の時期によつては(即ちその時の経済情勢を考慮することによつて)不当である場合もあり得ると思う。然しながら前説示の如く要するに自農法に依る農地の買収は公共のために用いるものであり、その対価は正当な補償であると解し得るから同法は憲法第二十九条に反する法律であるとはいい得ない。従つて憲法第九十八条に依り当然効力を失つたものであると断ずることはできない。よつてこの点に関する控訴人の主張は採用する限りでない。

(二)控訴人主張の原判決事実摘示の(二)の主張事実について判断するに控訴人主張の本件農地が元控訴人の亡夫森井石松の所有であつたところ昭和八年十二月同人の死亡によつてその長男である訴外森井孫市が家督相続によつてその所有権を取得したことは当事者間に争ないところであつて控訴人はその頃右孫市より贈与を受けて之が所有権を取得したと主張するけれども右農地の登記簿上の所有権者は石松になつたまゝで控訴人の名義に移転登記の為されて居ないことは、控訴人自身主張するところであるから被控訴人等が之を認めない以上控訴人は右所有権取得の事実を被控訴人等に対して対抗し得ないものと解すべきであるから(不動産の登記が対抗要件とされて居るのは一般私法上の売買取引関係に於ける私法的な物権変動について正当な利害関係に立つ第三者の保護のためであつて農地買収のような強制的所有権の買上について之が適用は議論の余地はあるけれども自農法による買収は土地収用による土地の収用とはその趣旨を異にし国が介在して私人間に農地の所有権の強制移転を図つたものでありその中間に国が一時的にその所有権者となるのに過ぎないものであつて終局に於ては私人間の所有権の移動に外ならないのであるから農地の買収手続において国又は農地委員会も民法第百七十七条の第三者中に包含されるものと解するのを相当とする。自農法が国えの買収と国からの売度の両手続において所有権の移転を一度中断させ買受人に対しては原始取得の形式を取つたことも国の所有権取得を完全にしようとする目的からの一の法律的技巧に過ぎないので右解釈の妨げにならないと考える)控訴人の本件農地の所有権者であるとの主張及び之を前提とする主張は採用することができない。

控訴人は登記名義人が亡石松であるから同人が死亡していることは被控訴人等にも明らかな以上真の所有権者を確めた上買収手続を為すべきであると主張して居るので一言すると成程さうした場合に農地委員会が真の所有権者を調査するのが相当であるけれども同委員会に調査の義務を負わせ真の所有権者の確定の義務ありとなすことは現在の登記制度の実情より見ても亦農地買収の早急な実現の要請からしても相当ではないので(農地調査規則も以上の趣旨に理解すべきものと考える)本件においても神村農地委員会のやり方は妥当でなかつた点があつたとしても違法であるとは言えないので右主張も採用し難い。

(三)控訴人の原判決事実摘示の(三)の主張事実について判断するに控訴人の主張するような考方は立法論的見地から我国の農家の持つ農地に対する所有権の関係に於て考慮されるべきだということは是認しなければならないけれども旧民法に於ても家族が戸主の財産に共有的持分を有することは認められて居らず家産なる概念は現在の我国の法制上認められて居らず単に自農法に於て小作地か自作地かを決定する際又所有地の面積を計算する際に個人単位でなく世帯単位に決定することを規定して農地に対する家族共同体というような考方を一部取り入れて居るのに過ぎない程度であるので控訴人の右主張も到底採用するに値しない。殊に本件については所有者であり、戸主である訴外森井孫市とその家族であり耕作に従事して居るという控訴人はその住居を異にし世帯も別個にして居ることが弁論の全趣旨(昭和二十三年十一月十七日の口頭弁論に於ける控訴代理人の陳述)によつても明らかであるので控訴人の前記主張は本件には適切ではない。

(四)控訴人主張の原判決事実摘示の四の主張事実について判断すると控訴人主張のように本件農地の買収の根拠となる法令の解釈について神村農地委員会と被控訴人広島県農地委員会との間に見解を異にして居たことは被控訴人等も明かに争わないところであるが行政処分に対する訴願の手続に於ては訴願裁決庁は争になつて居る行政処分の本質に変更を来さない限り行政処分の根拠となるべき事実関係とその法令の適用について原処分庁と異なつた認定を為し得る権限ありと解するのを相当とするので本件においても控訴人主張のように訴願裁決庁は原処分庁の認定の当否のみを判断する権限を有するに過ぎないとの解釈は当らないと考える。然しながら本件に於て問題となつて居るように当然買収に該当する場合と認定買収に該当する場合とはその手続に於て異なるところがあるので(例えば買収の基準時を昭和二十年十一月二十三日に遡及し得る規定の適用の有無はその重要な一例である)訴願裁決庁はその孰れによる買収であるかをはつきりと確定した上で裁決すべきで原処分庁と見解を異にしたときには之を是正した裁決をなすべきものと考える。よつて本件において本件買収は自農法第三条の何項に該当するものと見るべきかについて考えて見ると本件農地の所有権者は被控訴人等との関係に於て訴外森井孫市の所有であること前認定のとおりであり右孫市は神村以外に住所を有するものであり本件農地はその一部は純然たる小作地であることは控訴人の主張自体から明かであるのでその分については自農法第三条第一項第一号に該当するものと謂うべきであり一部分は控訴人自身が耕作して居ると主張して居るけれども控訴人は老齢であつて独力で耕作に従事できないことが弁論の全趣旨から窺えるので同法第三条第五項第二号に該当するものと解するのを相当とする(この点に関する控訴人提出の甲号各証を以ては未だ右認定を覆すに足らない)

さうだとすると神村農地委員会のなした同法第三条第五項に基くものとしての買収計画中右認定と異なる部分は違法であつて取消さるべきものであり被控訴人広島県農地委員会も右部分は取消した上新に同法第三条第一項第一号に基く買収計画として之を是正して裁決すべきであつたのにその点を判明させないで裁決したことは違法たるを免れないと謂うべきでこの点に関する控訴人の主張は理由あるものと謂わねばならない。然しながら行政事件訴訟特例法第十一条によれば原告の請求が正当であつても公共の福祉のために行政処分を取消すことが相当でないときには原告の請求を棄却し得る旨を規定して居り本件の如きは正に之に該当するものと解するのを相当と考えるのでその意味に於て控訴人の本件買収計画の取消を求める請求は棄却せらるべきものである。

(五)最後に控訴人主張の原判決事実摘示の(五)の主張事実について判断すると

前認定のように被控訴人広島県農地委員会との関係に於ては、本件農地の所有者は訴外森井孫市であり同人の住所は昭和二十年十一月二十三日以前から現在まで神村以外にあることは控訴人自身認めるところであるので同法第三条第一項第一号に該当する部分についての買収は小作人に異動のない限り自農法附則第二項同法施行令第四十三条の規定による必要はなかつた訳であり、同法第三条第五項第二号に該当する部分についての買収は自農法附則第二項等の規定は全然適用の余地のなかつたものであるのでその点に於て神村農地委員会のなした手続に違法の点があり被控訴人広島県農地委員会の裁決もその点の是正を明かにして居ない違法があるけれども(四)に述べたと同じ理由と根拠によつて結局被控訴人広島県農地委員会の為した裁決は之を取消す必要のないものであり、控訴人の本件買収計画の取消を求める請求は棄却せらるべきである。

なお控訴人は本件農地の一部が小作人よりその返還を受けて自作地になつたことを前提として自農法の改正法律第六条の二に関する主張をして居るから、この点について考えて見るに自農法改正前の附則第二項の規定による農地買収計画に関してされた手続は改正法第六条の二の規定によりされた手続とみなされるものであところ(一)控訴人主張の三筆の農地の賃貸借が合意解除された事実及び広島県農地委員会がその解除を適法且つ正当であると認めた事実は控訴人の全立証によるも認めることができぬ。(二)従つて右三筆の農地の従前小作人である小川源一外二人が該農地の所有権を取得しようとして買収請求をしたものとしてもこの一事をもつてその請求が信義に反するものであるとは断定できないし神村農地委員会において信義に反する請求であると認めた証拠は何もないから自農法第六条の二第二項第一号第二号に関する控訴人の主張は失当である。次に(三)控訴人は右三筆の農地の所有者又はその承継人でもないことは前説明した通りであるから第六条の二第二項第四号に関する控訴人の主張も採用の限りでない。

以上の理由によつて控訴人の主張はいずれも失当であるのでその余の事実関係の認定及び法律の適用について判断するまでもなく控訴人の本件各請求は失当である。よつて之を棄却した原判決は相当であつて本件控訴は理由ないものとして棄却すべく民事訴訟法第三百八十四条第一項第八十九条第九十五条行政事件訴訟特例法第十二条を各適用して主文のとおり判決する。

(小山 和田 石田)

(目録省略)

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